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橋下政治への視点を紹介します

大阪市長選挙が始まりますね。辞任騒ぎも論理がなく不条理ですが、主要政党が候補者をたてずに「無視」するというのも困ったものです。緑の党も力量がなく、残念ながら候補者擁立ができませんでしたが、大阪のグループが声明を用意しました。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/midorioosaka/osaka140308.pdf

私は橋下市政については私は一部評価をしつつも一貫して批判してきました。
しかし一方で「なぜ市民に支持されるのか」をきちんと分析しないといけないと思います。

東京のオルタナティブメディアからも「なぜ関西では橋下らが評価されるのか」という問題提起があり、
何度か依頼されて書いてきた文章を紹介します。

なお、座談会では躍進の背景として
・かつて日本一だった大阪市の地盤沈下の背景
・運動側の問題点(先進的であったがゆえの公務員運動や部落解放運動の問題点)
・閉塞状態にあった大阪の政治情勢(維新がはじめて「改革」した)
をあげ、橋下氏は実際の行政では改革をしておらず、地方政治ではうまくいかないだろう。
しかし、一方では国政の状態がひどすぎるので、地方を投げ出して転出するのでは…という話をしています。◉市民主権から政治を構想するー首長、議会、市民の行方[市民の意見]
http://ioku3.sakura.ne.jp/old/cn16/index.html◉【座談会】橋下政治――その秘密と弱点
井奥雅樹×北野誉×天野恵一×白川真澄(司会)[季刊ピープルズプラン第58号]
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=62

◉[書評]橋下現象研究会編 著『「橋下現象」徹底検証』/井奥雅樹[季刊ピープルズプラン第61号]
http://ioku3.sakura.ne.jp/wp/?p=173

 


橋下大阪市長についての私の論説 [書評 「橋下現象」徹底検証]

[書評]橋下現象研究会編 著『「橋下現象」徹底検証』/井奥雅樹[季刊ピープルズプラン第61号]

競争社会を前提とした「強い」大阪を作ろうとする新自由主義的政策群と「君が代斉唱」への過度の強制といった復古的姿勢が併存している橋下勝という政治家。最近の体罰事件への対応でも明らかになったが、「体罰容認」発言から「学科の入試取りやめ」指示という180度の政治姿勢の転換を説明なく平気で行う矛盾に満ちた存在である。それなのにというべきか、それだからこそというべきなのかマスコミの寵児として「次期総理」まで期待される政治家であり、彼が石原慎太郎氏と設立した「日本維新の会」は民主党崩壊が予想される中で2013年政治新体制の大きなキーとなる政治集団とされている。
 「橋下(維新)現象」と名付られたこの一連の流れについて、本書では各界の論者9人による独立しつつも連携した分析がされている。
 例えば、政治的分析である。麻生氏は政党の力よりもむしろ個人のパーソナリティを軸にした「人気もの」の政党リーダーによる政治現象の世界レベルの共通点をさぐる。一言で言えば、政治を「顧客」として消費する「受動的」な市民の存在を原因とする。また、櫻田和也氏は詳細な統計データやアンケート分析をもとに「橋下現象」の政治的支持基盤をさぐる。彼の分析では世間に流布する「貧困層が維新支持」ではなく、支持基盤は「中間ホワイトカラー層」であることを指摘する。このことは関西に住む筆者の実感にも合う。意外かもしれないが、「辻元清美などの民主党議員の支持者が橋下氏を支持する」現象はあるのだ。
 「橋下維新」の登場の背景として、 一国内政治だけでなく、世界的視野で「橋下現象」を見なければ冷静な分析と対案は出せない。 複数の論者が、先進国における「構造調整プログラム」である新自由主義を取り上げている。その上で共同体を解体して、野蛮な経済論理による競争絶対社会をつくりあげるがゆえに精神的には「国家保守」をもってくるという手法に対しての対抗軸も示されている。杉村氏のポルトアレグレの事例紹介、古久保さんのジェンダーの視点、村澤氏の市民社会論などである。
 以上の論文以外にも大阪都構想や教育政策、女性政策など具体的な橋下政策に沿った論もあり、多くの分野を網羅しつつもコンパクトにまとまった橋下現象批判の書といえる。
 しかしながら序論で杉村氏が触れたように時代は早くも動きつつある。この冒頭で橋下現象を「マスコミ仕掛けの新自由主義政治」ととらえ、「今後も手を替え品を替えて(かりに橋下徹その人が失墜しても)何度でも繰り返し生じてきて、国民に悪しき影響を及ぼす可能性がある」と論じた。小泉純一郎の郵政解散、民主党の政権交代といった一連の政治とマスコミの関係を見れば、この指摘は非常に適切と思われる。
 そして、皮肉なことに本書の指摘どおり衆議院選挙後は、「橋下氏」を使い捨てにして「安倍自民」をマスコミが活用している状況が置きつつある。同じ新自由主義+国家主義の政治家同士で参議院選挙前に「橋下現象」や「新自由主義の第三極」の反撃があるのかどうかといったありさまである。
 私たちは冷静にこれらの動きを見すえつつ、メディアと政治の両面から対抗軸を作りあべるべきではないか。インターネットメディア、民衆評論誌などの独立・市民メディアによる対抗軸とスローライフの視座(麻生)など「お任せ民主主義」ではない視点を持つ新しい政治が必要となるだろう。
 楽天的かもしれないが、充実した市民メディアを基盤に新自由主義に対抗する政治ビジョンと政策群があれば浮ついたマスコミも民衆側に引き込んだ「市民政治現象」を引き起こせる可能性は存在するのではないか。そのヒントも点在する書となっている。ぜひご一読を。